今日という日
2012年 01月 17日
今日という日が、始まりました。
お正月ですら、365分の1ですが、今日はやっぱり違う。
一年に一回、私の価値観がグルリとなる日。
あの日のことは…例えれば…障子の向こう側、
たった一枚の薄い紙の向こう側のように
常に紙一重、閃光も轟音も、炎で明るかった空も
当時のまま見えるようなのですが、
でも透けてあのまま見えるほどクリアでもなく
何かに隔てられ少し途切れ途切れになっている部分もある。
「忘却というもの」が恐ろしかった…
自分の中に閉じ込められてたモノ、無くしたものを見つめた一年でした、去年は。
震災を経験したことに、ある種の驕りのようなものがなかっただろうか…
東北の状況を目の当たりにして
自分の「障子の向こう側」が吹っ飛んだような
なんだろう…
不思議な、解ききれない何か。
そんな諸々の思い、無意識に手を合わせてしまう祈り
温かいヌクモリと便利な生活に感謝し
一日を過ごしたいと思います。
神戸市民150万人分の1として。
お正月ですら、365分の1ですが、今日はやっぱり違う。
一年に一回、私の価値観がグルリとなる日。
あの日のことは…例えれば…障子の向こう側、
たった一枚の薄い紙の向こう側のように
常に紙一重、閃光も轟音も、炎で明るかった空も
当時のまま見えるようなのですが、
でも透けてあのまま見えるほどクリアでもなく
何かに隔てられ少し途切れ途切れになっている部分もある。
「忘却というもの」が恐ろしかった…
自分の中に閉じ込められてたモノ、無くしたものを見つめた一年でした、去年は。
震災を経験したことに、ある種の驕りのようなものがなかっただろうか…
東北の状況を目の当たりにして
自分の「障子の向こう側」が吹っ飛んだような
なんだろう…
不思議な、解ききれない何か。
そんな諸々の思い、無意識に手を合わせてしまう祈り
温かいヌクモリと便利な生活に感謝し
一日を過ごしたいと思います。
神戸市民150万人分の1として。
by miyumayu27 | 2012-01-17 05:46 | 日々のこと